を信条としている「うなぎ★のぼる」です。いつでもどんな時でも何処でもこのことを声高に叫ぶ私ではありますが、すべて絵で完結するかというとそうではありません。そのことをまざまざと感じさせてくれる文章に出会いました。交流のあるアート・芸術系の方からの年賀状です。(特定できる部分は伏せてご紹介します。)
今回のコロナ禍にあって、子どもやその保護者と触れ合って情緒を育むことを長年実行されてきた方です。しかし、その手法自体が、いや存在そのものさえが否定されたかのような事態に陥ってしまった今回のコロナ。私自身も忸怩たる思いをずっと抱えていただけにこの文章、ずしんと心に響きました。
恐らく相当悩まれたことと思います。顔と顔、心と心、肌と肌が触れ合うことによってこそ人間はわかり合える、成長していける存在です。それがまったくできなくなってしまった現状。コロナ感染という怖さプラス人の目に敏感になってしまった現状にさぞ心を痛められたことでしょう。
このこと自体が子どもたちの成長に影響しないはずがありません。人は人と人の間にあってこそ学んでいけるのです。そのことさえはばかられる現状に私自身も非常に憂えています。そうした観点からこの切実なる想いを吐露された年賀状にググっと来たのです。しかし、最後は逆境の中に光明を見出した決意が見て取れ、こちらも勇気づけられました。
さて、私が今日伝えたかったのは「コトバ」の威力についてです。かねてより絵のチカラを強く訴えている私ですが、絵も「コトバ」を具現化したものに過ぎません。
です。根っこにはどう言葉で表現するか?が問われているのです。以前から
というのが定説になっている感があります。しかし、それは「コトバ」そのものに力のない長い文章は読まないという注釈付きです。本当に大切なことは多少長くなっても読むものです。厳に小説など長い文章の最たるものに人は魅了されますね。
私が手掛けるマンガもすべてマンガで完結するかと言えばそうではありません。ページのところどころに解説文などを挟み読みやすくしています。それでも伝え切れない部分がどうしても発生します。そこは文章でつないでいかないことには理解されないのです。いや、長い文章でしか伝えきれないところもあります。
もちろんエンターテイメントの商業マンガはほぼストーリーのみで完結できる部分が多いですが、広告マンガは理解、共感、行動喚起の役割も担うため多少の違いはあります。
それよりも私が心掛けているのは、
このことにマンガの真骨頂があると思っているのです。人の心を打つ、人の気持ちに寄り添う。これは長い手紙だろうとマンガだろうと同じことです。私たちは言葉を紡いでこの世を生きていくのですから・・・