このコラムでは、しつこいほど「情報洪水の時代、人間はほとんどの情報を無視している。だからまず人を惹きつけることから始めてください」と訴えてきました。
「そのことだったらもう何回も聞いたよ」
とおっしゃるかもしれませんが、それでもしつこく私はこのことを伝え続けています。なぜなら、このことを自分の血肉として落とし込んでいらっしゃる方になかなかお目にかかれないからです。
ある意味、これは仕方のないことです。それは、自らの本分があるためどうしてもそちらに関心が行ってしまう。料理人だったら味に、英会話教室だったら教え方のスキルに、建築屋さんだったら材料や工法に、エンジニアだったら新しい技術にというように。
商品やサービスの告知をうまくできるかについては、何らかのキッカケがない限り頭の中から消えてしまっています。だからこそ、私はこうして何回も何回も「消費者は、よほど興味のある情報以外はシャットアウトするんですよ」ということをまず認識してくださいと訴えているわけです。
いきなりですが、「AI」と聞いて何を想像されましたか?人工知能?愛?それとも歌手のAIさん?
このAIは「Attention」と「Interest」の頭文字から取っています。ちょっと古典的にはなりましたが、昔から使われてきたマーケティング用語に「AIDMA」というのがあります。AIDMAとは、消費者の購買行動プロセスを説明する代表的モデルの1つで
Attention(注意)
Interest(関心)
Desire(欲求)
Memory(記憶)
Action(行動)
の頭文字を取ったもので、消費者の標準的な購買行動プロセスを表したマーケティング用語です。つまり、ひとは注目→興味→欲求→記憶→行動の段階を追って購買を決めていると言えるのです。
例えば、人が街を歩いていていきなり「車」を買ってしまうという行動につながることはほぼありません。歩いている途中とてもしゃれた車のショールームが目に入り、しかも足のスラリと伸びた美女が満面の笑みを浮かべながら手を振っています。何のイベントだろうと興味が湧き、つい中に入ってしまった。
すると美女から「今お時間ありますか?」との問いが。「まあ、ちょっとなら」と答えたら美女が同乗してテストドライブに付き合ってくれるそうだ。ひとしきりドライブを楽しみ美女の名前と店名も記憶しました、そして後日、さらにイベントの案内が届きました。こうした過程を経て初めて車の購入に至るわけです。
よほど安価で生活必需品なら、ストレートに欲求が湧く間もなく手にするでしょうが、高額商品、嗜好品はそうはいきません。大概こうしたプロセスを経ます。
なお、最近ではITの進化により、体験のExperience、熱中のEnthusiasm、情報共有のSharingなどが加わったAIDEESやAISASなどのモデルも活用されています。
さて、今回のテーマである講話やスピーチにおける「タイトル」のつけ方について考えます。私は自らが所属する会の講話者の「タイトル」のつけ方に対して、もう一捻りして欲しいと考え、そして発信もしています。なぜ私が「タイトル」にこだわるのか?それは
だからです。タイトルはマーケティング用語でいうところの「Attention」に該当します。タイトルはお笑い芸人の“つかみ”にも該当します。ここで聴衆を惹き付けないと後を真剣に聞いてもらえません。
つまり、人はキャッチコピーたる「タイトル」でその講演会を聞きに行くかどうかを決める可能性が高いのです。
もちろん、有名タレントならその知名度だけで人寄せパンダとなり得ますが、一般人はそういきません。タイトルでこれは自分にとって役に立つテーマか、ためになるか、を直感させるものでなければなりません。
新聞記事を例に挙げますが、新聞は
◆見出し(タイトル)
◆前文(リード)
◆本文
の構成で成り立っています。しかも、本文のところどころに「小見出し」がついています。つまり本文のためすべてを読ませるのは至難の業。新聞の本文を隅から隅まで読むとなると一日かかってしまいます。そうしたことからこの3段階に分けて書いてあるわけです。
事例を挙げます。
衆議院選で「日本維新の会」が躍進したヒミツ
右傾化した自民と左傾化した立民の狭間で行き場のなかった層を取り込むことに成功。そのしたたかな戦略のウラを探った
今回の衆院選では自民党と公明が絶対安定多数の293議席を獲得した一方、野党第一党の立憲民主党は改選前議席より14議席も減らし惨敗した。
事前の予測では立憲と共産党を中心とした野党統一候補が健闘するのではないかとみられていたが、まったく異なる結果となった。
これに対して保守中道を掲げた日本維新の会は約4倍の躍進を見せた。その秘密をここで考えてみたい。
維新の躍進には「自民党の近年のおごりに嫌気がさした、右傾化が気になる。かといって立憲は共産党と組んだことで左傾化が気になり、とてもまかせられない。ならばどちらでもないが改革のイメージがある維新がいいのでは?」といった国民の心が見て取れる・・・・・・・・・・・
ざっくり、こんな感じです。この構成を無視していきなり本文を読ませるとなった場合、読み手はとても疲れます。しかし、見出しと前文でおおまかな流れはつかめます。これ以上、詳しく知りたければ本文を読む。という流れに引き込まなければならないのです。
つまり、
わけです。本文を読まずとも、タイトル→全文→小見出しでも大まか全体の把握が可能なのです。
だからこそ、「タイトル・見出し」が重要。タイトルで注目、興味を惹かない限り先に進んでくれない理由がお判りでしょうか?
情報量が2~30年前の数十倍に達したと言われる現代、消費者、聞き手の時間を奪わないためにも、こうしたやさしさが求められます。
あと、タイトルや前文で気をつけたいこととして
です。つまり、聞き手が自分にとってこれは何らかの利益がありそう、今抱えている課題と関係があるのでは?と感じてもらえる要素が入っている必要があります。だれも講演者の自慢話を聞きたいわけではありません。
人は自分にとってメリットがあるからこそ足を運ぶのです。人手不足、後継者問題、資金不足、技術の劣化、知名度、社員との一体化などに少しでも引っ掛かるような相手に提供できるメリットを盛り込む必要があります。(もちろん、すべての人に共通するテーマはありませんが…)
どんなに素晴らしい商品やサービスも目に留まらなければただのゴミ。ぜひタイトルに全神経を集中して考えてみてください。オーバーに言えば命を懸けるほどに!です。
さて、今回のコラムいかがだったでしょうか。皆さんもぜひ「タイトル」に気を配ってみてください。必ず違った結果が現れるはずです。