病弱で意気地なしだけれども人を笑わせる、人の心を温かくすることが大好きだった父。その影響でしょうか、私も常にどうやって人を和ませるかを考えている人間のようです。そのお陰でしょうか…。「あなたと話しているといつも楽しい」という評価をいただきます。今回のコラムは、そんなわけで周囲を楽しませる要素の一つとして「ビックリさせる」を取り上げました。
私の父は、漫才、漫談、浪曲、講談といった芸事が大好きでした。中でも「落語」に目がなかったようです。私もその影響を受け、落語が一番好きですね。最近の漫才やコントのスピードが以前と比べてかなりアップしたようで、しっかり聞いていないとオチに気づかなかったりします。その点、落語のゆったりとしたテンポが私には合っているようです。
特に古典落語にその傾向が強いのですが、人情噺が多く出てきます。人間の愚かさ、はかなさ、馬鹿さ加減が随所に盛り込まれつつ、それを笑いでプラスに転化していき、ハッピーな気分になる…。その流れが私にはしっくりくるのです。
以前ほどではなくなりましたが、コントなどで人をいじって笑わせる芸風も多く見られました。確かに笑いは起こるのですが、どこか後味が悪い…。それは、人の欠点をあげつらい攻撃を繰り返す政治の世界ともダブって見えます。確かに悪いところは正していくのが政治なのですが、そこに
が存在することで、印象はだいぶ異なります。“欠点の指摘”と“改善提案”をセットにすることで世の中明るくなると思いますが…。
そもそも単なる笑いと「ユーモア」には多少の違いがあります。ユーモアは笑いを含んだもっと広い意味で解釈されます。それは、
を
「喜び・楽しみ」
に転化するにあります。つまり、
病気で苦しい→人の痛みがわかる人間になれる
夫婦げんかが絶えない→本音をぶつけ合える人がいること自体がありがたい
ブ男だ→イケメンを引き立てるスーパー脇役だ
こうすることで実際の苦しみが和らいでいく、それが実は物事の好転にいち早くつながる。というわけです。
ユーモアと密接につながり、人の心を豊かにしてくるものとして
があります。ビックリさせるは「悦ばせる」にもつながります。私は常日頃から「どうやってビックリさせようか?」ということを心掛けています。(まあ、初歩レベルではありますが…)
その一つに75歳で“NHKのど自慢”のチャンピオンになる!という目標があります。今から7年後です。ただそれだけならビックリさせるほどのことはありません。ビックリさせるとは、いい意味で
ことです。人には
「これはこういうものだ」
という常識、前提が存在しています。それは商品であれ、サービスであれ同じです。「75歳のおじいちゃんだからたぶん演歌だろう」みたいな。
それを私は見事に裏切ります。常識を超えます。バリバリの若くてスポーティな衣装、元気ハツラツな姿勢、そして私の必須アイテム「うなぎ☆のぼる」の旗を持って登場!しかもうまい!(笑)曲目は
です。この曲、とにかくキーが高い、そして裏声を使う、かなり難しい曲です。たぶん高齢者で歌う人はあんまりいないかも…。これを誰にも負けないぐらいの声量で堂々と歌い上げる…。
エッ!これが75歳?
とビックリさせるのです。自分もこのように年を取りたい!そう思わせるのです。これ、私がもっともワクワクする瞬間です。その情景を思い浮かべただけでもうやる気がみなぎってきます。
この目標を実現させるには、声量、姿勢すべてにおいて若く見えないことには幻滅させてしまいます。そう、これが結果として私の最良の健康法にもつながります。
私と同じように人をビックリさせる、悦ばせることを生き甲斐としている友人がいます。Y.Kさんです。70歳を超え昔懐かしいロカビリーソングで福祉施設を飛び回っています。いや、これ本業ではありませんよ。福祉関係のれっきとした社長さんです。
お互い、切磋琢磨して世の中を明るくしていきたいと願っています。ネ、Y.Kさん。
どうやって人をビックリさせるか?これを考え続けることはすべての仕事においてプラスと化していきます。
これまでの仕事のやり方を変えて上司をビックリさせる。勉強で成績がなかなか上がらなかったのに、陰に隠れて勉強し突然優秀な成績を挙げる。
こうしたことを続けていけば行くほど相手が感激することもですが、何より自分自身のモチベーションがスパイラル上に高まっていくことに気づかされます。
言い古された言葉ではありますが、
があります。脳が常にそういうことを考え続けることで、認知症防止、若さの維持、友達作り、コミュニケーションの活性化にもつながるはず。
こうした活動は副産物として「メディア」の格好のターゲットになります。(*^^*)すると、本人はさらに燃える…(笑)これこそ世の中の好循環につながります。
皆さんもかねてから、どうやったら人は驚くだろう?と考えながら過ごされてはどうでしょう。いや、決して大げさである必要はありません。ささいな感激で構いません。ぜひお試しください。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。