昔からその街を活性化するには「よそ者、ばか者、若者」を呼び込めと言われます。私自身何となくそんなものかなと思っていたのですが、ようやく腑に落ちる体験がありました。
私は、鹿児島の10万弱の街、周りを山と川に囲まれた正真正銘の「ド田舎」の生まれです。
今では25世帯ほどしかありませんが、一番多い頃(私の小学生時代)には今の倍近い世帯があり、人口も4倍以上の200人ぐらいいたように思います。私が就職で郷里を離れた後、若者がどんどん故郷を離れ、急速に高齢化・少子化してしまいました。平均年齢は70歳を超え、世帯主の最高齢者が94歳、最年少が57歳。まさに限界集落を絵に描いたような集落です。
今では、集落の道路や墓地、川の清掃、役員決めなどコミュニティの維持にも支障をきたしているような状況です。そんな夢もなかなか描けないような集落ですが、一つだけ私が楽しみにしていることがあるのです。それは毎年4月上旬に開かれる「お花見会」です。このお花見会に私はほぼ毎年帰郷しています。幼なじみから「帰って来いよ!」と声が掛かるのです。
なぜ、声が掛かるのか、それは私が学生の頃「歌手」を目指していたこともあって私の歌を聞きたいという人が何人かいるのです。口幅ったい言い方ですが、その時だけ私はヒーローになれるんですね。でも、私にはどうしても気になることがある。昔あれほどにぎやかだった「お花見会」が寂し過ぎるのです。
私が子どもの頃は公民館前の広場に舞台を作り、ゴザを敷き、手作りのお弁当を囲み、家族総出で歌や踊りに興じていました。時には酔っ払ったおじさんが何人も畑に落ちるシーンをよく見たものです。ほぼ全世帯が参加していましたので150人程度はいたでしょうか。それが今では30人弱なのですからその落差たるや愕然とします。過疎化の波はこんなにも早くやってきたのか?と。
何年もそうした現状を目の当たりにした私は、何とかもう少しにぎやかなお花見会にできないものか考えていました。それを何人かの幼なじみに話をしてみました。
「昔のお花見会を一度再現してみようや!」
と。しかし、返事は芳しくありません。
「もうそんな元気はない」
「音頭を取ってやる人がいない」
「人手が少ない」
「今さらそれをやって何になる」
などネガティブな意見ばかり。それから2年、どうしてもあきらめ切れない私は、唯一楽しいことに共鳴してくれそうな人物に声を掛けました。そこで、
を提案しました。実は今年がちょうど公民館のリフォーム時期に差し掛かっているのです。これほど絶好のチャンスはない。私にはそう思えました。もちろん、70年というのは正確な数字ではありません。長老の方に聞いたらそれぐらいだと聞きました。
具体的なプランとして、都会に出ていった出身者に声を掛け帰省を促します。具体的なイベントとして
①リニューアル完成記念式典と同時開催する
②枯れてしまった広場の象徴の桜をもう一度咲かせるための記念植樹
③昔懐かしの写真展&ビデオ上映会
④集落の最盛期だった1960~70年代の歌を皆で楽しむ昭和カラオケ大会
などです。これと並行して前夜祭を開催し帰郷者と「自分の故郷に何ができるか」を、トコトン酒を酌み交わしながら語り合うこともやってみたいです。費用は、やむを得ず帰省できない方々の寄付で賄います。
また、今回の企画には裏の目的もあります。それは、団塊の世代にもう一度故郷に定住してもらうキッカケにできないか?というものです。きっと当人の頭のどこかに幼い頃の楽しい思いのDNAが刻まれていると思ったからです。幸い、集落には人が住まなくなった空き家がいくつもあります。この再利用にもつながります。
もちろん、これらを達成するためにはいろんなハードルが待ち構えています。年代別の出身者リスト作成、手紙等の通信文、宿泊施設の手配、開催コストなどなど。私は自らその役を買って出ることにしました。
さて、ここまで長々といろいろ書いてきましたが、なぜこのようなことをシャカリキに私はやろうとしているのか? それは私がいったん
になったからです。故郷を離れて暮らしたからこそ、その落差に疑問を感じるのです。私以上に長く離れた人はその思いがもっと強いだろうと思います。しかし、これがずっとそこに住み続けた人はそれが当たり前になっておりなかなか変化を生み出せないのだと思います。
もちろん、一度にぎやかなお花見会をやったところで劇的に地域が変わることはないかもしれません。ただの線香花火に終わるかもしれません。しかし、誰かが火をつけないことには何も変わりません。「ばか者」、「よそ者」が必要な理由がそこにあります。
これまでの街づくりやイベントで成功を収めてきた事例を見ると、「それをやって何の得になるの?」と言われるほど、馬鹿げたことを一心不乱に、何年も何年もやり続けてきた人だけがやがて頂上に登っています。物事を成し遂げるというのはきっとそういうものだろうと思います。こうした活動の中心になるのが「よそ者」「ばか者」「若者」なのです。
最初のうちはたった一人から始まります。しかし、それが2年、3年と続けていくうちにどんどん仲間が増え少数派がやがて多数派となっていきます。しかし、ここには厳然とした原則があります。それは、
です。「自分のため」ではなく、「地域のため」の純粋な想いがあってはじめて成就するのでしょう。
さて、ひるがえって皆さんの企業ではいかがでしょう。私利私欲ではない取り組み、つまり、地域のために貢献できることが何かあるはずです。どんな仕掛けで地域とあなたは関わっていかれますか?