ひとかどの仕事をして来られた方や、公職についておられた方などにお話を伺うと「自伝」を残したいと考えられる方が結構いらっしゃいます。ある程度の年齢に達したことで、これまでの道のりを振り返る、何か自分の思いを残しておきたいと考えるのはごく自然なことでしょう。
振り返れば幼少期の想い出、父母、兄弟姉妹との想い出、学校時代の友達との出来事、就職してからの出来事、受験のこと。恋愛、結婚、子育てなど人にはそれぞれ多くの物語があります。
その物語を残したいと思うのはごく自然な流れです。最近では公民館や図書館などで自分史講座などが開かれ賑わっているようです。
私も時々、知り合いの経営者などに自分史を作られることをオススメしたりしますが、よくそこで返って来る言葉が
「自分は大した人間ではない」
「そんな自慢話みたいなのは恥ずかしい」
というものです。まず、この出発点が違うのです。自分史は自慢を書くのではなく、次世代に伝えたいことを書くのです。
それなりの年齢に達しておられれば、子供さんやお孫さんがいらっしゃることでしょう。そしてまた、その先のまだ見ぬ子孫に伝えるべきなのです。
自慢話ではなく、自らが大事にしてきた想いや哲学、信条、モットーなど伝えたいことは何かあるはず。俗に言う家訓みたいなものです。それを本という形で残す。経営者ならなおさら自らの想いを社員や子孫に伝えていくべきです。未来永劫の企業になって欲しいと考えておられるはずです。
しかし、ここ最近、この命の系譜とでも呼ぶべきものが軽んじられているような気がしてなりません。わたしがこういうと反論もあるでしょう。が、しかしあえてここでは書きます。
元々、人間は動物の一種です。動物は「種の保存」という役割を連綿とつなぎ、今ここに自分の命があります。そこに現代は多様な価値観と言っていろんな考えを許容する方向に流れています。LGBT、同性婚、あるいは臓器移植や代理母、子どもを持たず自由を謳歌するといった価値観です。
何も私はそういう環境にある方々を排除する、といった考えには立っていません。それは個人の自由なのですから、それはそれで尊重すべきです。そこに論点を持っていくのではなく、連綿と受け継がれてきた命に思いをもっと馳せようという話です。
自由があまりにも闊歩するかのような現状に私は危惧を抱くのです。少子高齢化に伴い、三世代、四世代の家族は極端に少ない状況です。こうなってくると「いのち」そのものに思いを馳せる機会はなかなかありません。「死」というものに直面することがないため、命の尊さに気づかない。昨今の「命」を粗末にする事件が多く起こっている現実を見るとき、このことを痛感します。
私は命の繋がりに想いを馳せた時、初めて人は感謝するのではないか、と思っています。自分を産んでくれた両親、そしてその前から続く命の系譜。自らの祖先を父方、母方共に辿っていくと20代前では100万人、30代前では1億人を超す計算になります。倍々の数字で増えていくのですが、10代ぐらい前までは大した人数にはなりません。しかし、そこからが幾何学数的に増えていきます。こうなれば、自分の周りはすべてその遠い昔縁続きだったのではないかとさえ思えてきます。人類皆兄弟なのです。
このような観点から、自らの想いを伝えていくことはある意味あなたにとっての義務でもあります。例え、ご自分にお子さんやお孫さんがいらっしゃらなくとも形として残すことが重要です。
さて、この物語を紡ぐは「個人」だけのものではありません。企業にも同じことが言えます。企業が未来永劫続いていくためにも創業のスピリット、創業時の苦労談は残していかなければ忘れられてしまいます。どの企業にも経営理念、経営方針といったものが掲げられています。しかし、単なるお飾りに終わってしまっている企業もあるようです。社員の気持ちを一つにするという観点からも「創業時の精神に戻る」は大きなファクターです。
何もこの自伝を残す、会社の記録を残す過程において立派な書籍である必要はありません。お金をかける必要はありません。しかし、未来の子孫が喜んで開いてくれる体裁は整えておきたいものです。その際、マンガや動画で残すことも一つの手段です。難しい文章はこれから先の世代にとってはますます難解なものになっていくかもしれません。
皆さんはご自身の命の記録を残す準備を始めておられるでしょうか?また、会社の財産、レガシーとしての創業物語などを残していく準備を進めておられるでしょうか?マンガプロジェクト鹿児島は皆さんの熱い想いを残していくためのお手伝いを全力で行います。
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