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■四元重美(よつもとしげみ)自己紹介
NPO法人マンガプロジェクト鹿児島理事長
有限会社わくわくコーポレーション代表取締役
職業:漫画化家(「まんがかか」と読みます。何でも漫画にしちゃう専門家という位置づけです。商標登録5679895号)

★ニックネーム/よっちゃん、元ちゃん、重美ちゃんと呼び方いろいろ
★1954年2月生まれ、うお座、血液型/O型(小型とも言われる)
★家族/妻と4人の息子。三男のみ東京暮らし
★身長/165cm、体重/55㎏(体重は学生時代とほぼ変わらず)
★出身地/鹿児島県薩摩川内市
★出身校/鹿児島県立川内商工高校
★資格/取り立てて掲載するほどのものはなし
★所属団体/鹿児島県中小企業家同友会、鹿児島中央倫理法人会、鹿児島商工会議所、鹿児島県工業倶楽部
★講演歴/日本経営協会医療福祉研究会、島根県保険医協会、MMPG九州地区会、JA鹿児島県中央会、鹿児島県森林組合連合会、鹿児島県漁業協同組合連合会、鹿児島市 など

■これまでの主な役職

・鹿児島県文化振興審議会委員(2019年3月まで)
・国民文化祭かごしま2015実行委員
・雇用・能力開発機構新規・成長分野企業等支援アドバイザー
・鹿児島県中小企業家同友会理事広報委員長 など

その他、地域の小学校のPTA役員や子供会、町内会の役員などを務めさせていただきました。現在では、
・鹿児島大学かごしまルネッサンスアカデミー(焼酎マイスター養成コース)プレゼンテーション講師
・学校法人赤塚学園美容・デザイン専門学校カリキュラム編成委員
等を務めさせていただいております。

■その他もろもろ

★性格/おおらか(嫌なことは大体1日で忘れられる)、親しみやすさ
★特徴/とにかく勉強好きでかなりのお金を投資。それが血となり肉になっていれば良いが、勉強することが目的になっていたような気がする
★趣味/読書・カラオケ(その昔ナイトクラブで歌っていた)
★尊敬する人/稲盛和夫、松下幸之助、うちの奥さん(*^^*)
★好きな戦国武将/織田信長(泣いて馬謖を斬らざるを得なかった決断力)
★記憶に残っているマンガ/俺は鉄平、プレーボール、赤胴鈴之助、巨人の星、タイガーマスクなど かなり古い(*^^*)
★好きなアーティスト/五木ひろし、高橋真梨子、徳永英明、いきものがかり、山内惠介
★大切にしていること/笑顔、ポジティブシンキング、妻への感謝
★心がけていること/相手の美点を見つけること
★好きな言葉/心に強く描いた夢は必ず実現する、昨日に感謝・今日に不満・明日に希望
★好きなテレビ番組/カンブリア宮殿、ガイアの夜明け、クローズアップ現代+、笑点、ポツンと一軒家
★努力していること/尖がること(これまで周囲にいい顔をしていた。それでは本当の大事を成すことができないと痛感したから)
★両親への想い/快活でユーモア精神にあふれていた父と、慈愛に満ちた母親の元に生まれたことにただただ感謝

■経歴

私の恥ずかしい経歴をご紹介します。

「あんたの経歴など興味ない!」

ですよね~。でも、モノ好きな方が一人ぐらいはいらっしゃることを信じて書かせていただきました。ご興味のある方はお進みください。

■深い愛情を注いでくれた
父と母

私の生まれたところは鹿児島県薩摩川内(さつませんだい)市。その中でも一番の端っこで、現在では20世帯ほどになってしまった山と田んぼに囲まれた小さな集落です。そこで明朗快活、人を和ませることが真骨頂だった父と、寡黙で目立たない性格の母の元に長男として生まれました。

父に抱かれて写真に収まる(2歳ぐらい?)

父に抱かれて写真に収まる(2歳ぐらい?)

元来、農家ですから小さい頃から農作業の手伝いをさせられたこともあり、どうしても農業が好きになれませんでした。父が病弱だったこともあり、我が家は母親が勤めに出て生計を支えるという構図でした。そのせいかどうかわかりませんが、家はとても貧乏で我が家にテレビがやってきたのは中学2年生の時で、集落で最後だったことを覚えています。

でも、不思議と貧乏だったことを恨みに思ったことはありません。それは両親の仲が良かったこと(夫婦げんかを見たことはほとんどありませんでした。)、父がちょっと気弱ではあるけれども明るく快活であったことが影響していると思います。

従姉と弟(小学校5年生の頃?)

従姉と弟(小学校5年生の頃?)

また、父母共に無類の歌好きで私もその血を引いているのかもしれません。特に父は漫才、落語、浪曲、講談などの芸事が好きでテレビのない我が家はラジオが唯一の楽しみで、いつもラジオにかじりついていた記憶があります。

その情愛に満ちた両親のもとに生まれた私は、性格は母親似、考え方は父親似といっていいかもしれません。とにかく人を笑わせる、和ませることに命を懸けていた(笑)父親の影響から私のサービス精神は生まれてきたと言っていいでしょう。

■目立たず騒がずの泣き虫
少年時代

少年時代は母親ゆずりの内気な性格が災いしたのか、泣き虫少年でした。今もその涙腺が弱いのを引きずっていますが…

私の小中高時代の同級生が、司会や講演で舞台に上がっていること、学校のPTA会長を務めたこと、NPO法人の活動を通じてメディアに登場する今の私を見てみんなビックリします。

「あの頃のお前からはとても想像できない…」

と。でも自分自身ではそんなに変わったという実感はありません。

現代は、少子化やストレス過多の社会の影響もあるのでしょうが、いじめが絶えることはありません。陰湿にさえなっています。しかし、私自身はいつも泣かされてはいても、そこまで極端に落ち込むことはなかったように思います。その決定的な理由が「歌」だったのです。

■ひとつ自信があれば人間は
生きられる

漫画でもご紹介しましたが、私は小学生の時から、歌が上手いと言われてきました。きっと歌好きの両親の影響を受けていたのでしょう。そして、他に何の取り柄もない私が唯一輝ける場所が毎年4月に開かれる「お花見会」の舞台でした。ここで拍手喝采を浴びるのです。恐らくこの体験がいじめという忌まわしい経験をプラスに変えてくれたのだと思います。

この経験を通じて感じたことですが、「人間たった一つ自信になるものがあれば生きられる」ということでした。

高校時代の想い出をお話しします。工業高校2年生の時です。「歌手になりたい」という夢を抱き、その夢を両親に告げました。しかし、猛烈に反対です。「そんな甘いものじゃない!」と。でも、諦めきれません。何度も何度も高校を中退して東京に行きたい、そして東京にいる同級生のところに住まわせてもらい、歌手を目指すと言い続けました。

あまりにも私がしつこく言うものですから、両親も半ばあきらめかけていたようです。そして私が同級生からお金を借りる算段で東京に行く準備をしているときに伯父が訪ねてきました。父が説得を依頼していたのです。この伯父はとても厳しい人でこっぴどく取っちめられました。

「俺が元気な間は絶対に外に出さない」

と。そこで、一旦私は学校を卒業することを約束し就職することにしました。しかし、どこかにまだ歌手になる夢をあきらめてはいなかったのです。

■諦めきれない歌手への憧れ
~社会人1年生の時代

卒業後、私は県内ホテルの設備管理の仕事に携わりました。もともと工業高校の電気科に進学したのは父親たっての願い。自らが病弱だったため、手に職をつければ食うに困らないだろう。という親心だったのでしょう。

でも、本人は好きでも得意でもない仕事ですから身につくはずがありません。私はただ可もなく不可もない仕事をしていました。ただ、元来の真面目さと努力工夫する気持ちだけは持っていたようで、上司からは可愛がられていました。

そんな最中、指宿市に歌謡教室があることを知りました。元プロ歌手が流れ流れてこの街にたどり着いていたのですが、私は即その門を叩きました。ほどなくして、街の一大イベント温泉祭りのステージに立つチャンスが巡ってきました。私は喜び勇んで舞台衣装を作ったのです。キンキラキンのラメの入った赤いジャケットとクリーム色のパンタロン、そして蝶ネクタイ。値段がいくらだったかもう忘れましたが、誂えでしたからそれなりの金額だったでしょう。そして、その余勢を駆って勤め先であるホテルの芸能部にそのことを伝えました。

すると、責任者から夜のナイトクラブ(収容数500人ほどの大ホール)に空きがあるから歌ってみないかとの打診が。私は二つ返事で承諾し、常時舞台に立つことになったのです。(無給ではありましたが)

ナイトクラブで歌っていたころ
(22歳の頃?)

しかし、ほどなくその役割も終えることになりました。職場である設備管理部門の仲間から本職があるのに何をやっているんだ。という批判が起きたのです。そのこともありわずか半年で歌手の真似事はあっさり終わってしまいました。

それからしばらくしてホテルを退職しました。環境を変えたかったのです。ちょうどその頃ホテルに出入りしていた電気店にしばらくお世話になり、その後従兄弟が経営する電気工事会社に厄介になりました。しかし、この過程で「電気工事士」の実技試験に2年続けて失敗。もともと不器用でこの仕事は自分には向いていない、と思っていた私の思いが確信へと変わっていくのでした。

そんな時、新聞の求人広告が目に留まりました。

「スーパーマーケット 宣伝部員募集」

これを見た瞬間にひらめきました。

「これだ!これが俺のやりたかった仕事だ!」

と。その時点では確たる理由はなかったのですが、直感でそう思えたのです。以来、30数年。私はその選択はまったく間違っていなかったと思っています。宣伝広告、PRの仕事と歌手の道と共通点があるように思います。歌手は「歌」という手段で自己表現し、広告宣伝は「言葉」や「絵」で表現します。

「表現する」

なかなか難しいテーマですが、これを生涯の仕事と気づけたのはとても幸せなことです。感謝です。

■転職から独立の時代へ。
生涯の仕事にたどり着く

こうして私は宣伝広告の道を進むこととなりました。この職業を選んで後悔はまったくありません。もちろん、すべてが順風満帆だったわけではなく、うまくいかないことの方が多かったように思います。それでも天職です。

スーパーマーケットでは主にチラシ制作やPOP広告の作成に携わっていました。その後、地場の広告代理店にて出版物、屋外広告、印刷メディア等の企画に携わりました。と言っても要は「営業」活動です。一軒一軒企業や商店を回り交通広告などの注文を取って回る仕事。

営業の世界は成績がすべてです。暑い日も寒い日もひたすらお客様を探すための訪問です。飛び込み営業主体の会社でしたから、断られるのは日常茶飯事。ある時は危ない系の会社に飛び込み、お兄さんからすごまれたこともありました。

そんなことを経て無謀にも独立という道(さんけいプロで創業→ザナックス有限会社設立→㈲わくわくコーポレーションに改組)を選択しました。だからと言って何の当てもなく、ただ社長と衝突したことがキッカケで飛び出したのです。この無鉄砲さ、計画性のなさは今にも引き継がれているかもしれません。(泣)

独立当時は明確にお客様がいたわけでもない、これといった売り物があったわけでもない。まあ、無謀と言えば無謀、世間知らずだったと思います。ちなみに、お客様の会社に打ち合わせに行って原稿をもらってきて、レタリング、デザインをして納める、この仕事でもらったお金が1,000円。

もう一度言います。1,000円です。今どき考えられない金額です。よくもまあ、そんなやり方をしたなと反省します。バカじゃないの!と言われそうです。そういう商売感覚ですから女房にはとかく苦労かけました。(今でも苦労かけてるじゃない!と叱られそうですが…)

独立当初、既に男の子ばかり子どもが3人いましたので、妻は不安だらけだったでしょう。後になって妻に聞いたところ

「不安だったけど反対はしなかった。どうせ長続きしないだろう、飽きっぽい人だから一度だけ社長気分を味わったら元のサラリーマンに戻るだろう」

そう思っていたようです。しかし、それは妻の見立て違い(笑) 苦しい経営状態ながらも何とか右往左往しながら今まで生き延びてきました。意外としぶといんですね。(笑)

創業当初より私は医療機関のC.I、広報に着目し、恐らくロゴマークの制作数でトップ3に入るほどの実績を積み重ねてきました。また、IT時代にも対応してインターネット病医院検索サービス「ザ・総合病院」を開設し、現在も細々とではありますが運営しております。

また、この頃の私はとてもダサい人間だったようで、ファッションにもほとんど興味がありませんでした。

ダサいファッション(30代後半)

しかし、漫画のことをやり出し、若い子らと交流するようになってから意識を変え、ファッションにも気を配るようになりました。だって、若い漫画家らから「うちのリーダーはダサいな~」と思われたくないじゃないですか…

■なぜ漫画なのか?
そのこだわりの訳

独立以来、医療機関の広報に力を入れると同時に、もっと有効な広報ツールはないものかと研究していました。(研究と言えばカッコいいですが、単に飽きっぽいだけ)そこで出会ったのが

「広告マンガ」

です。どうやらマンガは広告に使えそうだと気付いてからしばらくは自分一人でお客様に提案をしていました。しかし、これではスピードが遅い、普及に時間がかかると感じ、2010年経営者団体で共に学んでいた3名の仲間に呼びかけ「マンガプロジェクト鹿児島」を創設したのです。

国民文化祭2015 
かごしま漫画フェスティバル1

国民文化祭2015 
かごしま漫画フェスティバル2

国民文化祭2015 
かごしま漫画フェスティバル3

国民文化祭2015 
かごしま漫画フェスティバル4

その後、2013年に「かごしま漫画クロデミー賞」を創設しマンガ文化の普及に努めるとともに、若き漫画家たちのサポートをしながら

“産業マンガ王国かごしま”

づくりに全身全霊を傾けていきます。なぜ産業マンガなのか?ということですが、「地域を支えているのは中小企業である」という自負があるからです。鹿児島県内の企業数の99%は中小企業なのです。大都市を除けばほぼこの構図です。つまり中小企業が元気にならない限り、地域の発展はあり得ないのです。

では、なぜここまで私が漫画に惚れたのか?何度も言っているように漫画には3つの特長があります。①目立つ②わかりやすい③面白いです。中でも私自身が強く訴えているのが

「面白い」

です。常に人を喜ばせるサービス精神に富んでいた父の影響でしょう。人が喜んでくれることが何よりの喜び、その根本にあるのが「面白い発想」です。

漫画にはストーリーがつきもの。山あり、谷あり、波乱万丈の物語が展開していくところに面白い!が潜んでいます。これを紙と鉛筆一本で、かつ低コストで表現できるのが「漫画」の良さです。これからもこの漫画を中小企業発展のために活かしていきます。